ラウちゃんが先日放送のFNS歌謡祭にて、さまざまなグループから選抜されたダンスコラボに参加。途中で画像が止まってしまうくらい熱いものだった。
私はまーったくダンスのことがわからないけど、いろいろなグループから選抜されるくらいだから、スゴイってことなんだよね?(←当たり前だ)
で、SNSを見てると、とにかくスゴイと。
いろいろ専門的な解説をしてる方もいますが、私にはそこらへんはわからず。
ただスゴイってことはわかった。
ただ素人なりに、なんていうか、ラウちゃんが、その選抜された人たちとのダンスレベルと、振り付けされた方の考えとを汲み取って踊ったらしいということはわかった(つもり)。
それがラウちゃんの今持ってるポテンシャルをフルに発揮したものかどうかは、私にはわからない。
だけど、グループにいる時を見ているファンとして思ったのは、真のポテンシャルって、ただただ持ってる技術的なポテンシャルを発揮して踊るだけじゃないのかなーって。
突然『ガラスの仮面』の話をするけども。
主人公マヤは天才的な演技力を発揮する。だけどひとり芝居ではない限り、演技って周囲とのバランスも考える必要があるってことを、まったくセリフがない人形役を演じることでマヤが悟っていくシーンがある。そうしないと、どんな上手くても、それは演技とはいえないって知っていく。
だから本当にダンスがうまい人って、その時の状況に合わせて最適なものを提供できる人が、真のダンサーなのかなって思った。
コンセプトとか、振付師さんの考えとか、それを踏まえての自分の考えや感情、そして持ってる技術。
そういうものを総合したうえで、ベストなものを出せるのが、本当にすごいダンサーなのかなって。
『こんなラウちゃんが浮かないSnow Manってスゴイ』
こんなコメントを見た。
もちろん、そうだとも思う。
このラウちゃんの容姿、そしてダンスをグループの一員として成立させてる8人のお兄ちゃんたちってスゴイ。
だから今、こんな人気を得ているともいえる。(もちろん、他にもいくつも理由はあるよ)
だけど、ラウちゃんはSnow Manっていう環境で踊る時に、最適な状態を考えて踊ってるのかもなーって思った。
Snow Manの時は歌もあって純粋なダンスとはいえないから、ひとつの「表現者」として、その瞬間に身を置いてるのかもしれないなって。
プロの視点を持ってないからこそ、まったくの素人だからこそ言うけど、Snow Manのパフォーマンスを見ている時に、「ラウちゃんだけ目立ってるな」と思ったことはないんだよな。
素人だったら、単純に目立ってる人に目が行くんじゃないかと思うんだけどさ。
だけど、ちゃんとそれぞれに目が行くというか、TAKAHIRO先生じゃないけど、視線が誘導されるままに見てしまう。
それって誰かが突出した技術力を持っちゃってるとか、周囲とのバランスを無視してパフォーマンスしてるってことがないってことだと思うんだよね。
もしかしたらラウちゃんは、突出した技術を持ってるのかもしれないけど、それをただ発揮するということをするのは、真の表現者じゃないって理解してるのかなって思った。賢い子だし。
だからといって、他8人のお兄ちゃんたちが劣ってるとは思えない。
言い方はよくないかもしれないけど、あのラウちゃんを取り込んで、私みたいな素人が違和感なく見れるようにしてるんだから、それはそれでポテンシャルが高いってことだ。
だから結局、Snow Manってスゴイんだなーって改めて思えた。
そして、そんなラウちゃんを8人のお兄ちゃんたちは見守り、帰ってきた時にはそのラウちゃんのポテンシャルを輝かせようと、自分たちも気合いを入れるんだろう。
そして、ラウちゃんはそれを感じて、Snow Manのメンバーに戻るんだろうな。
のびのびと。