先日のすのちゅーぶで康二くんの発言について、ある容姿について言及していて不快に思った方がいて、それに賛同した人もまあまあいたようです。
いわゆる炎上したということでしょうか。(“炎上”ってどれくらいの規模だと炎上なんでしょうかね? いわゆるなSNSをやっていないので、よくわかりませんが)
私はいわゆるSNSをたまに見たりはするけれど、自分ではやっておりませんし、Twitterが始まった頃には、すでになかなかのおばちゃんになっていたので、なんていうか、絶対に生活に必要というものではないと感じていますし(だって、それがなかった時間を過ごしてきたほうが、はるかに長いもんで)、そこに深い価値があるという認識も現時点ではありません。(これからそう思うようになるかもしれないし、思わないかもしれないし)
件(くだん)の動画を見ましたが、とくに何も思わず。
その炎上のことを知って、そういえばそんなシーンもあったかなぁという程度でした。
でもまあ、これはあくまで個人の感覚なんで、不快に思ったのならしょうがないわけです。
それをSNSで発信することも自由です。
ただ、こういうことが起きた時にいつも思うのは、
「不快に思った意見が、なんだか尊重っていうか、重要っていうか、そういう感じに扱われることが多くない?」ということです。
不快に思った。→それは感じたことなので、しかたありません。
でも。
「不快に思わなかった」
この意見も「不快に思った」意見と同等に扱われるべきじゃないかなと思うわけです。
でも、そういう肯定的な意見って、こういうときにあまりピックアップされないというか。
どっかのネット記事も「炎上してる!」というほうをフィーチャーしていました。
そこで思います。
「なんで、そっちのほうがネット記事にピックアップされるんだろう?」
論文というものに、それなりに学生生活を送って受験なんかもしたりして触れてきましたが、論文というのはたいてい肯定的意見と否定的意見を並べて、それぞれに自分の考えを述べてまとめていきます。
自分の言いたいことだけを最初から最後まで書くのではなく、自分の意見とは反対の意見を取り入れ、そこで同等の比較をし、「自分はこう思う」という考えに説得を持たせます。
しかしネット記事やSNSなどは、振り切った意見の方が注目されるようです。
反対意見があるなんて、想像もしてないような印象です。
確かにそのほうがわかりやすいし、インパクトがあります。
とくに自分と同じ意見であれば、それを見ることで「こう思ってる人がいる!やっぱり私は正しいんだ!」と勢いづきます。
それが法に触れないこと、一般的に良くないことでなければ、それは「とっても正しい意見」として広がっていきます。
「容姿いじりはいけないんだから、康二は間違ってる! その特徴を持ってる人が傷ついてる! 私が正しい!」
(中には、なかなか辛辣ないいぐさのものもありましたが、そこはまあ表現の自由もあるかと思いますし、その方の性質がよく知れるので、それはそれで何かしらの判断材料になっていいかなと思う面もありますので)
ところで。
この意見が取り入れられたネット記事は見ましたが、このことについて反対意見を述べている記事は、今のところ私は見つけられていません。
そこで、ふと思います。
そのネット記事は、書いた人の署名もなく、明らかに「炎上している」ということを取り上げ、注目を集めようとしている記事でした。
記事というものは読まれてなんぼなので、注目されようとすることに罪はありません。そうしないと読まない、こちら側にも責任の一端はあるでしょうからね。
あ、ちなみに反対意見は取り上げられていませんでした。よって、この記事は少なくとも“論文”の要素を含むものではないんだなという判断ができました。
もちろん言論の自由があるので偏った内容でもよいとは思いますが、ともかく「一方的な意見についてしか書かれていない」ということは理解できました。
さて。
そのネット記事に記載されていた「一方的な意見」と意見がご一緒のあなたは、ちょっと考えたほうがいいかもしれません。
署名のないネット記事は、だいたい印象がよろしいと言えないものが多く、悪意を感じられることも多いからです。
今回ですと、康二くんが吊し上げられ、嫌われるようになればいいという印象を与える記事だったということは否めませんでした。
康二くんがそれだけ罪深い、非常に問題のあることをしたんだから、そうされて当然だという“意見”でした。
「その通りだから、その記事は正解よ」
もし、そう思うのなら。
あなたは“加害者”になっているのかもしれません。
私は個人的に、署名のないもの、そして反対意見や視点の違う意見を取り入れていない記事は“加害者”になる恐れのある記事だと思っています。
そんな記事と少しでも同じ意見だと感じるならば。
あなたの意見は“正しい”といえるのでしょうか。
「そんな記事と一緒にしないで! 私は正しい意見を言ってる! 賛成してる人もいっぱいいる!」
そう思った方も。
ちょっと気をつけたほうがいいかもしれませんねぇ。