あのSnow Manのこと綴らせて下さい

アイドルグループSnow Manのことを綴ります

“素のまんま”じゃないメディア

 

 

 ちょこっとだけメディアに関わる仕事をしている。

 その関係で、数人のライターさんと、ちょこっと会話をしたことがある。

 

 それでビックリしたのが。

 ほとんどの記事は、“そのまま”ではないことが多いということ。

 

 

 どういう意味かというと。

 

 まずインタビューなどは、基本的にはそのまま記載しない。

 しゃべっている言葉なので、文章にすると意味が通じないことがあるから。

 そういう点からも、まったく完全に忠実に記載することはほとんどない。

 もちろん、相手のしゃべっている言葉やニュアンスなどを、なるべく崩さないようにはする。

 

 そうすると、対象が送付してきた原稿もそのまま記載しない。

 文章がすばらしく上手い作家先生とかなら別だけど、読みにくいところとか、方言なのに標準語と思って使っちゃってるとことか、掲載誌によっては具体的な商品名を出しちゃいけないとか、単純に誤字があったりすることもあるから、そのまま記載できない。(あまりにひらがなが多い場合も手を加えるらしい)

 

 あと、その雑誌やサイトのカラーというか、スタンスというものがある。

 その文章が、雑誌やサイトにそぐわない場合は、語尾や単語を変えたり、ときには大きく言い換えたりする。

 すっごくわかりやすい例でいえば、子供向け雑誌に「彼女とは1日何回でも抱きあってキスしてたいな」なんてことを実際におっしゃっていたとしても書けないわけ。

 子供向けというスタンスのもと「カノジョとは、なるべくいっしょにいたいな」などと書き換えられることになる。

 

 大きな会社や運営ほど、その雑誌やサイトのカラーやスタンスをよく理解しているベテランライターさんがいることが多く、どんなインタビューも原稿も、その雑誌やサイトのスタンスに合った内容に仕上げるのだ。

 

 

 となると。

 

 素材そのままで掲載されることは、ほとんど無いということだ。

 

 ということは、厳密に言っちゃうと、私たちはSnow Manの“素のまんま”のインタビューを読んでいない、いや読めないということになる。

 だから記事を読むときは、そういう風にワンクッションがあるんだと思ってみる必要があるのかも。(メンバー手書きのものがそのまま掲載されていない場合は、メンバーの誰かが書いた文章だったとしても、前述のような理由で絶対チェックが入ってるはず)

 

 これライターさんの名前が示してあるものは、その人が名前を出して書いたものだから、責任を持って書きましたという宣言がされていることになる。

 だから、ある意味、信頼して読める。その記事の書きかたや表現の仕方が好きかどうかは、ともかくとして。

 ただ、そのライターさんが雑誌やサイトのカラーやスタンスに合わせまくって、結構“素”をアレンジしてしまうと、また話は違う。

 けれど、編集部や運営側としては、それを望んでいるのでOKということになる。

 

 ライターの名前が書かれていていたとしても、そのようにアレンジが加わる可能性があるのだから、無記名のものなんて信用度がグンと下がることになる。

 

 それなのに、その無記名の記事を見て、私たちは一喜一憂する場合があるのだ。

 

 記事にグループやメンバーの名が登場すると、ついつい見てしまう。(今ってSNSで勝手に流れてきちゃうこともあるしね)

 見てしまうことはしかたないとして、それが全幅の信頼を置ける内容であるかどうかは確認しなければならない。

 とくにセンセーショナルなタイトルや内容の場合は。

 

 ある程度、年齢を重ねていたり経験値があったりする場合は、その記事に対して「本当?ウソじゃない?」「ウソだわ」「これは本当の話だわ」と、ジャッジする思考が働くかもしれないけど(正しく機能しているかどうかは、また別の話)、有名な雑誌やサイトが出していたら、簡単に信じてしまう人もいるんじゃないだろうか。

 

 じゃ、動画や音声なら大丈夫かというと、これがそうでもないらしい。“編集”というものによって、Snow Manが発した言葉や動作が番組などの望む方向性へと変えられてしまう場合がある。今は加工技術だってスゴイしね。

 

 とくにTVなんかはプロデューサーとか番組の意図に合った編集になっちゃうだろうから、もしかしたらSnow Manらしくないなと思っちゃうような編集をされちゃうかもしれない。

 Snow Manがそういうつもりで言ったことじゃないこと、そういうつもりでやったことじゃないことが、プロデューサーや番組が望んだものに編集されてしまう可能性だってあるわけだ。

 

 じゃあ、編集が『悪』なのかってことになるけど。

 

 でも、その反対にSnow Manが「イマイチだった」と思っていたものを、編集によって活かされる場合もあるかもしれない。

 だから本当はそういう意味じゃなかったことも、編集によって活きてSnow Manが感謝したくなってしまう場合もあるかもしれないんだよね。

 

 だから“素のまんま”だけが良い、正しいってわけじゃない。

 

 

 私たちは、提供する側が絶対的に正しくあれ、事実だけ知らせろと思いがちだけど、エンターテインメントの面では、リライトや編集をしないと、それが私たちに見せられるようなエンタメにならないことがある。

 いや、エンタメはSnow Manという演者と、読んだり見たり聞いたりする私たちの間に、必ずたくさんの人が介在しないと、エンタメにならないんだよね。

 

 

 私たちが目にしたり耳したりするSnow Manは、ほとんどが“素のまんま”ではないということを自覚したうえで、楽しみ、そして時には意見をしていかなくちゃいけない。(非難や批判をする場合は、やりかたや言葉遣いをよく吟味したうえで)

 

 

 でも結局、私たちが正しいジャッジができるかどうかにかかってるんだよねぇ。

 責任はメディア側じゃないんだよ。Snow Manじゃないんだよ。

 

 だって、エンタメを作るほうは、私たちのことを優先して考えるはず。

 Snow Manのことを優先したりはしない。

 だって、Snow Manは私たちが存在ないと成り立たない職業だから。

 

 だからといって私たちが「お客様なんだから」「視聴者様なんだから」「読者様なんだから」「会員様なんだから」とおごったり、過度な要求をしすぎたりしてしまうのは、おかしいこと、恥ずかしいこと。

 ここがおかしくなってしまうと、メディアもおかしくなっていってしまう。

 そして、私たちが望まないエンタメが作られてしまうことになる。

 

 Snow Manを傷つけてしまうことになる。

 

 

 だから“素のまんま”じゃなくても、エンタメにはそういうリライトや編集っていうルールがあるんだということをわかったうえで、私たちはSnow Manを楽しまなきゃいけない。

 

 だって、世界中のゲームも、ルールがあるから楽しめるわけでしょ?

 ルールがなかったら、ゲームにならないからね。

 

 

ジャニーズ事務所所属のSnow Manというアイドルであるというルール』を理解したうえで、彼らを見たり聞いたり読んだり応援したりしていかないとね。