結婚してしみじみ思ったが、夫とちょっとでも意見が合わないと不安になる奥様方が多くてビックリした。
夫婦とは何もかも意見が合うもの、で、あるらしい。
そんなことあるわけない。
一緒に育ってきた兄弟姉妹だって意見が合わないことがあるのに、まったく違う親から生まれて育った人と、意見が完全に一緒になるほうがおかしい。
ましてや産んでくれた親とだって意見が合わないことがあるのにさ。
これって日本人はとくに強い傾向があるのかなって思った。島国で、ほぼ単一民族だった日本は“同じ”であることを尊ぶ傾向がある。
だから学校には制服があるところが多いし、それを当然のように受け入れる土壌があるように思う。
サラリーマンだって、だいたいスーツ着てるし、職場に制服があるところだって多いだろう。職業的性質から制服じゃなきゃいけないところもあるんだろうけどさ。
そうすると夫婦も“同じ”じゃないといけないって思いやすい。
それで、少しでも違うところがあると不安になる……らしい。
でも、何もかもの意見が一致したり、好みが合ったりすることなんてありえない。
違う人間だからこそ、興味を持ったり、惹かれ合ったりして、仲良くなったり、結婚したりするんだと思う。
確かに、まったく接点がない、意見が合わないのに仲良くなるのは難しい。
とくに趣味が合うということが親しくなるポイントかなと思う。
楽しいと思うことが一致しやすいと、親しくなりやすいような気がする。
そして親しくなると、お互い楽しいことしかないのが基本だから、一緒にいて「合わないな」と感じることが少ないのだ。
または、違いがあっても相手に合わせてしまう。
それすらも楽しく感じてしまう。
とくに仲良くなったばかりの頃は。
だけど夫婦となって生活を共にすると、楽しいことだけをしているわけにはいかなくなる。
そこでも好みが合えばいいけれど、育ってきた環境が違うわけだから、合わないところがたくさん出てくる。
そこで初めてアセるのだ。
「夫婦なのに、意見が合わない。どうしよう。夫婦はすべての意見が合うから夫婦のはずなのに」
もし「私たち夫婦は何もかも意見が合います」という人がいたら、それは奇跡だ。
もしくは、どちらかが合わせているんだと思う。もしくは合わせ合っているんだと思う。
その「合わせて」いるときに、さほど抵抗がない人もあれば、すごく抵抗を感じる人もいる。
抵抗を感じる場合はツライ。
すごくツライ。
夫婦は基本的に長く一緒に人生を送るもの、と思われているからだ。
永遠を誓わされるからだ。
夫婦なのに。
恋人なのに。
友人なのに。
「意見が合わない」私たちはダメなんだと思わされる。
そのストレスが自分に向かえば「自分が悪い」と自分を責め、相手に向かえば「なんで合わせてくれないの」と責めることになる。
でも、それって、相手の“個性”を認めていないことになるんじゃないか?
「意見が合わない」=「お互いの個性が主張し合っている」ということじゃないか?
世間ではあんなに「個性を大切に」「個性を引き出そう」「個性を輝かせよう」と掲げているのに。
夫婦だと、恋人だと、友人だと、グループだと、とたんに「個性を発揮する」ことは許されなくなってしまう。
「個性を発揮する」と仲が悪くなってしまうから。秩序が乱れるから。
…………矛盾している。
だから私たちは苦しんでいる。
だから私たちはSnow Manのファンになる。
アイドルとして活動している人たちは、誰もがその個性を輝かせているし、輝かそうとしている。
グループを組んで、お互いの良さを認めて活動している人たちもたくさんいる。
だけどSnow Manは、それぞれの個性が、たまにアウト×デラックスなくらい特徴的なもので、しかも9人という大所帯でありながらカブっていない。
(すべてのアイドルグループを知っているわけではないから、絶対的にそうだとは言えないかもしれないが、少なくともそう思ってファンになっている人が多いし、ファンでなくてもSnow Manを知ればそういうグループだと認識されていると思う)
しかし個性を発揮できているということは、周囲と仲良くなれないはずだ。
グループとしてはうまくいかないはずだ。
ところが、だ。
彼らは仲がいい。
個性を発揮しているのに。
それは仕事の場面だけでなく、プライベートにまで及んでいるらしい。
あらゆるメディアで、お互いの個性を宣伝し褒め称えるが、それぞれの趣味に合わせようとはしない。
合わせないと仲が悪くなるはず。
だけど、彼らは仲がいい。
なぜ?
あるメディアでさっくんと阿部ちゃんの関係性を『共通点ゼロの両想い』と表現しているものがあって、まさにその表現がピッタリだと思った。
さっくんと阿部ちゃんの関係性だけでなく、これはSnow Man全員に言えることなんじゃないかって思った。
共通点はなくても、その個性を輝かせているその人を好きだと思ったら、それでいいのだ。
ムリに相手に合わせようとしなくても、また相手に合わせてもらうようにしなくても、それでいいのだ。
そんなことしなくたって、お互いが相手を好きだったら“両想い”になれるのだ。
お互いの個性を大きな声で、自分たちを知らない人に伝えて。
それを本人がアピールしているときには、最大の笑顔と拍手で応援して。
ときには、その個性からのアドバイスをもらって仕事に活かして。
だけど、絶対に無理に合わせたりしない。
自分らしくいることも決して忘れない。
そんな関係性。
…………そんな夢みたいなことがあるのか?
…………そんなウソみたいな話があるのか?
「あるよー♪」×9
それを彼らは現実で見せつけてくれる。
なかなか私たちが実現できずに苦しんでいることを、やってのけている。
もちろん、そうなるまでに、それぞれが苦しんで悩んだ面もあっただろう。
だからこそ、今、そういう関係性なのかもしれない。
だから目が離せない。
だから私たちはSnow Manのファンになってしまう。
まるでおとぎ話みたいにありえないと思っていたStoriesを、彼らは繰り広げてくれる。
だから、私たちは夢中になって彼らを見たり聞いたり読んだりしてしまうのだ。
そして突きつけられる。
「こんな個性だらけのオレたちを好きになってくれるんだから、あなただって身近な人と“共通点ゼロの両想い”になれるよ」
って。
「本当?」
「信じられない」
そう答える私たちに、彼らはさらに自分たちだけが使える最高の呪文を唱えてみせて、「できるよ」と言ってくる。
その呪文はとてつもなく短くて。
だけど、とてつもなく強力だ。
それを唱えているところを見せられると、私たちは勇気や安心や希望を与えられて、Snow Manを信じるしかなくなってしまう。
“共通点0の両想い”が存在すると認めざるえなくなってしまう。
その呪文を全員が心から口にするからだ。
「 9人で 」