あのSnow Manのこと綴らせて下さい

アイドルグループSnow Manのことを綴ります

もうSnow Manは傾(かぶ)かなくなってしまうかもしれない

 

 緊急事態宣言が出たため、『滝沢歌舞伎ZERO2021』の公演が一部中止になった。

 これについて、Snow Manたちが発したコメントや言動、動画に対して、簡単にいうと「それはないんじゃない」「私たちの気持ちに寄り添ってくれてない」「笑えない」といった不満が出て、それがSnow Manたち本人の知ることとなる事態が発生した。

 そして、これについて、さまざまな意見があふれた。

 

 私はそもそも落選組なので、当選していたのに行けなくなった人の気持ちは真に理解できないし、現時点で観劇できた人の気持ちもわからない。

 それぞれの意見は、そうだよなと思うところも、それはわからないなと思うところもある。

 でも、それは個人の感情や考えであって、それをどうこうすることはできない。

 ただ、それをSNSで発しようとするとき、それが世界中の人が閲覧できる環境にあるとするなら、ある程度のマナーやルール、そして“気づかい”は必要なのでは、と考える。

 

 しかし、この“気づかい”も人によるところがあって、自分では「これくらい言っても大丈夫」と思っていても、他人からすると「そんなことを言うなんてヒドイ!」ということになる場合もあるので難しい。

 この明確な基準を作ることも難しいから、永遠のテーマであるといえる。

 

 ただ少しでも普段とは違うテンションの感情を吐き出そうとしてSNSを利用するならば、“賛成”だけではなく“反対”の意見も出る確率は高くなるということは認識しておく必要があると思う。

 そのうえで “賛成”だけにまみれたいと思うならばSNSそれぞれに搭載された機能を利用するなどの工夫は必要かと思う。

 

 

 配信に関しても「当選して行けなくなった人に対してだけ見せるべき」的な意見があったようだが、そう思ってしまうのはしかたがないこととして、そもそもチケットを入手する権利は誰にでも平等に存在するわけで、たまたまチケットが取れなかっただけで、当選していて観劇できなくなった人だけが特別扱いされなければならないという理由にはならない。

 よって、これに関しては「お門違いでは?」とは思う。

 (その辛さをSNSに吐き出す権利はあるので、それは止められないが)

 それに、そのような人たちに向けて彼らは動画を発信している。

 内容云々はともかく、とても“特別な対応”をしたということだ。

(これに関して、「同様の状況になった他Gは、もっとこんな対応をしていた!見習え!」的な発言をしていた人がいたが、ゾッとする。恐怖以外の何ものでもない)

 これは今のSNSが発達している時代の恩恵と弊害だが、ともかくSnow ManはこまめにファンのSNSをチェックしていて、その都度できる対応をしてくれている傾向があり、私たちは「それが当然」という、非常に贅沢な感覚にまみれているフシがある。(おそらく、そうするのが当然と思っている人が多いのだろう。この時代のアイドルなど、SNS等を公式に持つ方々は本当に大変だと思う。しかし、今は持っていないといけない時代なのだろう)

 

 また公演申し込みの案内にて『※公演スケジュールは変更となる場合があります。あらかじめご了承ください』と記載がある。

 これは中止になる場合もあるということだ。

 チケットを申し込んだ人は、これを了承して申し込んだことになる。

 よって中止になったからといって、主催者側がきちんと返金などの対応をしているならば、「何かその代わりになることをやれ」「悲しんでいる私たちに寄りそう納得がいく言葉や動画をよこせ」というのはおかしい話なのだ。

 

 あと、何かしらの理由で公演の演目がカットされたらしく、そのことに関して「休憩時間を10分くらい短くすればできるんじゃない?」的なことがSNSにて書かれていて愕然とした。

 この人は自分が演目をしっかり見ることしか考えておらず、主催者側、とくに演者側のことをまったく考えていないのだなと思った。

 私は残念ながら「滝沢歌舞伎」を観劇したことがないのでわからないが、ほぼ毎日、時には1日2回の公演をこなすのは、演者にとって非常に体力的にも精神的にも大変なことと考えるが、違うのだろうか。

 そんな演者たちにとって、“10分くらい”の休憩でも毎日積み重なることを考えると、体調維持などに必要な時間だと思うのだが、違うのだろうか。

 約2カ月間、90ほどある公演を、他の仕事もこなしつつ、ラクラクとやれる人たちなのだろうか。Snow Manというのは。それに関わっている他の出演者の方々も。多くの裏方の方々も。

 それならば、そのように貴重であろう休憩時間を、“10分くらい”削ることも簡単だろう。

 そうであるというならば、「休憩時間を削ればいい」という意見に賛成できない私が間違っているということだ。

 謝罪しておこう。

 

 

 それに、“なぜ”その演目がなくなったかということを考えるべきだ。

 彼らがテキトーに「これ、やめちゃっていいんじゃね?」と軽い口調やノリで決める人たちだとでも思っているのだろうか。

 演目を変える、あるいはやめるということは、何かしら深い理由があるのだと思う。

 観客のことを考えて考えて、できるだけ楽しんでもらえるよう、最善を見せようとしてくれている結果だと思うのだが、彼らはそんなことを考えない人たちだというのだろうか。

 そうであるならば、私が間違っているということだ。

 謝罪しておこう。

 

 

 観劇する側、お金を払ってチケットを購入した客が完全に望むように演者が行動しなければならないとするならば、エンターテインメントは成立しなくなるだろう。

 もちろん「もっとこうしたほうがいいのでは」という意見を言うことは、彼らがより成長するキッカケになる可能性もあるのでいいとは思うが、ある程度「なぜそう思うのか」という根拠を示しながら伝えるべきではないかと思う。

 自分側だけでなく、相手側のことも考えてみる。

 たとえ憶測であっても、間違っていたとしても、考えないよりはマシだ。

 これができない人がいるから、SNSを介して自殺者が出る、イジメが起きる、17歳の少年にあんな文章を書かせてしまうようなことが発生するのだ。

 

 

 また今回のような事態が発生した背景には、この公演がプラチナチケットと言ってもいいものだったからということもあるだろう。

 今回の公演がすべてきちんと開催されていたとするならば、単純計算で約12万人の人が観劇できるはずだった。

 しかしファンクラブ人数は40万人を超えていて、これだけでもファンクラブの人全員が見に行けるわけではないことがわかる。

 またイープラスのサーバーがまったく機能しなかった、一般発売も何時間も電話をかけ続けてやっと、あるいはかけ続けてもダメだったといった事態が発生していたことからも、いかに今回の公演のチケットが入手しにくかったかがうかがい知れる。

 

 つまり。

 もうSnow Manはその程度のキャパで公演し続けることは難しくなってきたといえる。

 

 では、キャパをアップして『滝沢歌舞伎ZERO』を上演すればいいのではという話になる。

 私は舞台に関わる仕事もしていないし、それらに関する知識があるわけでもないのでわからないが、ライブとは違って『滝沢歌舞伎ZERO』は独特の機構を使用していたりするようだし、もし新たに大きな会場を使用するならば、最初から舞台を作り上げるのと同じことになると思う。

 毎年春にそのような上演ができる会場があるかどうか、私にはわからないのでなんともいえないが、そのような会場がない限り、『滝沢歌舞伎ZERO』はキャパをアップして上演はできないということだ。

 

 それに会場が大きくなったからといって、演者の体が大きくなるわけではない。

 その大きくなった会場の一番後ろの観客が、肉眼で舞台で何が行われているかをやすやすと見られるかというと、それは難しいと考える。

 

 では公演数を増やせばいいという話になるが、これも自分自身がSnow Manではないのでわからないが、だいたい1カ月に40公演、ほぼ毎日、2公演ある日もある、それを3、4ヶ月やり続けることができるというならありえない話ではないのかもしれない。

 連続ドラマ、映画などに出演するチャンス、ライブが開催される可能性、テレビ出演などの機会は減るだろうが。

 ラウちゃんにいたっては、もし大学進学していたとしたら、ほとんど学校に行けないだろうが。

 

 そう考えると、また今年と同様の規模で来年『滝沢歌舞伎ZERO』が開催されたとして、また今年のような事態が発生したら、またSnow Manに私たちの本音があふれまくった声が届くわけだ。

 来年コロナが収束しているとは限らないし、考えたくもないがコロナ以外の理由が起きて中止になる可能性だって完全に否定はできない。

 だって今回も誰もコロナで非常事態宣言が出て公演が中止になるなんて予想していなかっただろうし、予想していたとしても確実に発生するとは言い切れなかっただろう。

 あと、もっとファンが増える可能性も高い。

 

 もし来年また開催予定が中止になったとして、またこのような事態が繰り返されたとしたら、私たちの声をSnow Manは受け止めようとするかもしれないが、運営側は開催しないほうがましだと考えてしまうかもしれない。

「なんで、こんなに真摯にエンターテインメントを届けようとしているSnow Manにそんな思いをさせなくちゃいけないんだ」と考えてしまうかもしれない。「しかもファンから」と。

 だから出演させないようにしようと考えてしまうかもしれない。

 もう『滝沢歌舞伎ZERO』を卒業させようと考えるかもしれない。

 

 Snow Manが『滝沢歌舞伎』の主演を務め始めたのは2018年。

 去年は映画になってしまったが、今年で4回目。

 来年で5回目。

 …………ありえなくないと思ってしまう。

 来年、Snow Manは『滝沢歌舞伎』の主演を後輩に譲っているかもしれない。

 

 今回のことで、この規模の会場で自分たちが主演すると、多くの人を悲しませてしまう可能性があると気づいてしまったから。

 多くの人に見てもらえるエンターテインメントを届けようと考えてくれるだろうから。

 

 私たちを悲しませないように。

 

 もしそうなったら今回のことは、私たちファンが自分自身で、自分たちが最高に楽しみにしていたSnow Man主演の舞台を消滅させるということになる。

 Snow Manが大事にしてきた舞台を降板させるということになる。

 ふっかさんが愛してきたお丸を、もう演じさせてあげられなくなるということになる。

 

 かわりにもっと素晴らしい舞台を提供してくれたとしても(彼らなら、きっとそうするだろう)、ひとつの形を失わせてしまうことに変わりはない。

 もしそうなったら、私たちは自分たちがそうさせたのだという自覚を持たなければならならない。

 

 それとも「大きい会場でやってもらえてよかったね♪ 見れる人が増えてよかったね♪」と、ただ喜べばいいのか。

 

 そうなのか。

 それがファンというものか。